仏事について…
 
私が良く見させて頂いている
 
 
とても、
良い事を言われていて
勉強になっています。
 
 
うちとは宗派が違うので
チョコチョコと
御作法とかは違うけれど
 
 
大元は一緒
イイ事はいいと思って
いいとこ取りしています。
(叱られるかもですが汗)
 
 
今回、父が亡くなり
私がいくら仏ごとを勉強していても
無力なのがよく分かりました。
 
 
特に身内の話は耳を傾けない。
まして、妹の話など。
 
 
なので、
須磨寺さんの
四十九日のYouTubeのリンクと
 
 
どうせ見ないだろうから
書き起こしを送ったろ!と思って
書き起こしをしていたのですが・・・
 
 
これブログにしたら
イイんじゃないか?と思い
買いてみました。
 
 
全部書き起こした訳では無いので
YouTubeを見てくださいね!
↓↓↓
 
須磨寺さんでは、
檀家さん以外でも
仏事をお受けするそうです。
 
 
最近、四十九日の法要をして欲しいと
連絡があるそうで、
どこでお葬式をしたかと聞くと
お葬式はしていないと。
 
 
このごろ宗教であげられて
仏式でお葬式をしない人が
増えてきているそうです。
 
 
仏式でお葬式をしていないけれど
四十九日は気になるんだなと。
 
 
仏教でお葬式をしていなかったら
そもそも、
四十九日をする意味がないのです。
 
 
仏教では、
お葬式をした導師さんが
大切なのだそうです。
 
 
そもそも真言宗のお葬式は
どう言うことをしているかと言うと
 
 
「受戒(じゅかい)」
「灌頂(かんじょう)」
簡単に言うと引導作法
 
引導を渡すの引導。
 
それは引き導くと書きますが
その名の通り
仏様の浄土へ引き導く作法なのですが
 
つまり、
出家のお作法なのです。
 
 
生前、小池陽人住職さんのように
一般の方は
お坊さんになりませんよね…
 
 
ですから仏教では
亡くなった時にお葬式で
お坊さんに故人様はなって貰うのです。
 
 
そして修行の旅に出ていただく
そのような考え方をする。
 
 
ですので、
我々も出家をする時に
お師匠さんからお授けを頂きますが
何を授かるかと言うと
 
「戒を授かる」
 
戒と言うのは
戒律の戒。
 
 
戒律は
戒と律に分かられるんですが
 
 
大乗仏教、
日本に伝わる仏教は
この戒と言うのを重んじる
 
 
つまり簡単に言うと
「仏様とのお約束」
 
 
仏教徒として修行して参りますと言う
そのお約束を結んだ証
 
 
その戒を結んだ証のお名前が戒名
 
 
つまり…
亡くなった人のお名前が
戒名ではなくて
 
 
出家者
つまりお坊さん
戒を授かった人の名前が
戒名なのです。
 
 
小池陽人住職さんは
陽人が戒名。
 
みなさまにはお葬式で受戒
 
小池陽人住職さんの場合は
お師匠さんから授かった
密教のほうを全て授けて
 
灌頂と言う儀式を行って
密教の阿闍梨
修行僧になっていただいて旅立って頂く。
 
 
その旅立ちはどう言うものか…
 
 
七日七日違う仏様に導かれてのご修行になる。
 
 
最初の七日を初七日と言います。
 
初七日→不動明王様
怖い顔をした剣を持ったお不動様に
力強い力によって導いて頂く1週間
 
二週目は
二七日→お釈迦様
仏教の悟りを開いたお釈迦様に教えを導いて
 
三週目は
三七日→文殊菩薩様
文殊の知恵と言われているように、
知恵を授かって
 
四週目は
四七日→普賢菩薩様
慈悲の菩薩様に導きを頂く
 
五週目が閻魔大王の所に行く日、そこで裁きを受ける
五七日→地蔵菩薩様
そこで弁護を頂く、お助け、支えて頂くの仏様がお地蔵さん。
お地蔵さんに助けて頂く。
 
六週目
六七日→弥勒菩薩様
(ここは言ってなかったのでコピペ)
弥勒菩薩様は人々を救うために現れると信じられている未来仏。
仏になることを約束された未来に現れる仏様、
弥勒は「慈悲、悲しみから生まれたもの」
 
七週目
七七日→薬師如来様
(ここも言ってなくコピペ)
 
西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して、
薬師如来様は東方浄瑠璃界(いわゆる現世)の救主とされています。
阿弥陀如来様は死後の来世の平穏を司る仏なのに対して、
薬師如来様は現世での苦しみを取り除き安泰を司る仏
 
 
この七週目が四十九日なのです。
 
 
この四十九日までの間を中陰といい
 
簡単に言うと
この世でも無くてあの世でも無い
間の期間と捉える
 
仏教では、
産まれてくる時も
母親のお腹の中に十ヶ月以上居て生まれます。
 
 
亡くなる時も心臓が止まった
その一瞬が死だと考えるのでは無くて、
 
四十九日、中陰と言う時間を駆けながら、
段々と死を受容していくと言う風に考えられた。
 
 
何故四十九日かと言うと
お釈迦様が苦行をやめて
菩提樹の下で瞑想をして
 
四十九日目で
お悟りを開かれたと言う所からきている。
 
だから、
亡くなった後、故人様は
お釈迦様と同じ修行をされて
そして仏様に導かれて
その中陰と言う修行を歩んでいく。
 
 
中陰と言う修行が満ちる日が四十九日なので
四十九日の事を満ちる中陰と書いて
満中陰と言う。
 
 
ですので、
お葬式していないと
中陰も何もないのです。
 
 
仏教の引導を渡されて
初めてその中陰と言う意味が出てくるのです
 
 
そして
四十九日が大切になる
満中陰、修行が満ちる日なので
 
四十九日に解脱、
浄土に行かれる日なので
大切に皆さんに集まって頂いて法事を営む。
 
 
何故仏教ではこう言う追善供養をするのか?
 
 
四十九日
100か日
一周忌
三回忌
三十三回忌まで
繰り返し繰り返し供養する…
 
それは何故なのか小池陽人住職さんが
自分なりに考えてみたそうです。
 
 
「喪の作業」と言う言葉がある
 
 
人間は一度に大きな悲しみを
一度に引き受ける事が出来ない。
だからこそ時間をかけて手間をかけて、
その悲しみを受容していなかなければいけない。
 
 
これを喪の作業と言う。
 
 
それがまさに「仏事」なのだなと思います。
 
 
ここで
ある方の話を紹介しています。
とても良いお話なので
直接聞いて下さい。
↓↓
 
今、どんどん手間を省こう、
時間を省こうと言う風に
社会がドンドン大きくシフトしているように思う
 
 
仏事もそれに飲み込まれていると思う。
 
ですから、
四十九日まで毎週毎週もういいです!
と言う方も居られる、
 
法事ももういいかなって
考えてしまう方も
いらっしゃるんですが
 
 
私は、この決められた事ではあるけど、
 
それを一つ一つ丁寧に
時間と手間をかけて行っていく事によって
亡くなった方が自分にとって
どういった存在だったのか
 
 
供養の心、対話の時間と言うものを
そう言う伝えるお時間、
機会になるのではないかと思っております。
 
 
ぜひ、意味を今一度理解していただいて
その仏事の大切さを考えていただけたら
非常に有り難く思っております。
 
ありがとうございます。